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曹操と劉備の英雄論

後漢伝


張導 景明ちょうどう けいめい

姓名張導
景明
生没年生没年不詳
所属後漢
能力 統率:  武力:  知力:  計略:  政治:  人望:
推定血液型不明
諡号---
伝評治世に長けて内政を行い、東奔西走したあげく一族皆殺しになった人物
主な関連人物 袁紹 韓馥 彭参 馬道嵩 
関連年表 180年 鉅鹿の太守となる

略歴

張導、字を景明といい、河内郡修武の人である。

180年、鉅鹿の太守となった。

漳水が渡し場で氾濫して農耕ができなくなったとき、張導は地図を描いて水路の流れ止めを調査し、郡丞彭参、郡掾馬道嵩らとともに堤防を築いてこれを防がせた。この成果により民から役立つものとして、漳河の神壇碑に記された。

190年頃、義兵が起こると、張導はみずから壇に上って血をすすって誓い、袁紹の命を帯びた。

『英雄記』によると、袁紹に付き従って韓馥のもとへ訪れ、韓馥から冀州の牧の印を譲らせることに成功させ、袁紹に冀州の領土を手に入れさせた。

その後、任命を受けて天子のもとに参内し、爵位を賜り子孫に伝える資格を得たという理由だけで、ほんのわずかの間に、過失を大目にみるというお情をこうむることなく、一族皆殺しにされた。


評価

裴松之の評によると、張導、郭図、高幹らをつかわして韓馥を説得させ、冀州を譲渡させたとすれば、手柄のある人物だとしている。