三国志

後漢末の動乱から魏・呉・蜀の鼎立、そして晋による天下統一まで——およそ100年にわたる群雄の時代が「三国志」です。 当サイトでは、348人の人物、25の合戦、178の地名・史跡、年表、書籍を横断して調べられます。 正史『三国志』と小説『三国志演義』の違いにも触れながら、はじめての方にもわかりやすくまとめました。

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三国志とは

後漢の末、朝廷は外戚と宦官の争いで乱れ、184年に黄巾の乱が起こると各地に群雄が割拠しました。 董卓の専横を経て、華北を制した曹操、江東に拠った孫権、そして漢室の再興を掲げた劉備が並び立ちます。 200年の官渡の戦いで曹操が袁紹を破り、208年の赤壁の戦いで孫権・劉備の連合が曹操を退けたことで、天下は三分の形勢へ向かいました。 220年に曹丕が魏を、翌221年に劉備が蜀(蜀漢)を、229年に孫権が呉を建てて三国が鼎立します。 やがて魏の実権は司馬氏へ移り、263年に蜀が滅び、265年に司馬炎が晋を建国。280年に呉が降って、天下は再び統一されました。 三国志入門では、この流れを最初から順に解説しています。

正史『三国志』と『三国志演義』の違い

「三国志」と呼ばれるものには、大きく二つの系統があります。 ひとつは西晋の陳寿が3世紀に著した歴史書『三国志』(正史)で、のちに裴松之が多くの逸話を注として補いました。 もうひとつは、それらの物語が講談などを通じて育ち、14世紀に小説としてまとめられた『三国志演義』です。 桃園の誓い、諸葛亮が十万本の矢を得る場面や東南の風を祈る場面、関羽の温酒斬華雄・五関突破などは、演義で創作または大きく脚色された逸話です。 いっぽうで三顧の礼のように、正史にも記録があるうえで演義がさらに物語として膨らませたものもあります。 当サイトでは、史実として伝わることと物語としての脚色を分けて扱い、 歴史年表では同じ年の出来事を「演義」と「正史」の二つの視点で並べて確認できるようにしています。

魏・呉・蜀と主要人物

曹操が築き、子の曹丕が建国した華北の大国。人材登用に長け、国力でも三国随一でした。 曹操司馬懿夏侯惇ら。

劉備が漢室の後継を掲げて益州に建てた国。諸葛亮の北伐で知られ、三国で最初に滅びました。 劉備諸葛亮関羽ら。

孫堅・孫策が開き、孫権が長江以南に築いた国。水軍を擁し、三国で最も長く存続しました。 孫権周瑜陸遜ら。

190年 虎牢関
虎牢関の戦い
ころうかんのたたかい
反董卓連合 董卓軍

反董卓連合と董卓軍の激突。演義では三英が呂布と、関羽が華雄と戦った。

連合軍が董卓を洛陽から退けるも、内紛で解散
194年 濮陽
濮陽の戦い
ぼくようのたたかい
曹操軍 呂布軍

留守に兗州を奪った呂布と曹操の死闘。典韋が武名を上げ、曹操は火計から辛くも脱した。

曹操が兗州を回復(当初は呂布が優勢)
198年 下邳
下邳の戦い
かひのたたかい
曹操軍 呂布軍

曹操と劉備が呂布を水攻めで破り、白門楼で処刑した戦い。呂布の最期。

曹操の勝利(呂布を捕らえ処刑)
200年 官渡
官渡の戦い
かんとのたたかい
曹操軍 袁紹軍

曹操が寡兵で袁紹の大軍を破り、華北の覇権を握った天下分け目の決戦。

曹操の勝利
208年 赤壁
赤壁の戦い
せきへきのたたかい
孫劉連合 曹操軍

孫権・劉備の連合が曹操の大軍を火計で破り、天下三分の形勢を決定づけた大会戦。

孫劉連合の勝利
214年 成都
益州平定戦
えきしゅうへいていせん
劉備軍 劉璋軍

劉備が劉璋を破り蜀の地を得た戦い。軍師 龐統を雒城で失いつつ成都を降した。

劉備の勝利(劉璋が降り益州を得る)
222年 夷陵
夷陵の戦い
いりょうのたたかい
蜀軍 呉軍

関羽の仇を討つべく呉へ攻め入った劉備を、陸遜が火計で大破した戦い。蜀の国力を大きく傾けた。

呉の勝利
228年 街亭
街亭の戦い
がいていのたたかい
蜀軍 魏軍

馬謖が張郃に大敗し、諸葛亮の第一次北伐が頓挫。「泣いて馬謖を斬る」の地。

魏の勝利(第一次北伐が頓挫)
238年 襄平
遼東征伐
りょうとうせいばつ
魏軍

燕王を称した遼東の公孫淵を、司馬懿が遠征して滅ぼした戦い。

魏の勝利(公孫淵を滅ぼす)
263年 剣閣
蜀征伐
しょくせいばつ
魏軍 蜀軍

魏が蜀を滅ぼした戦い。姜維が剣閣を守る隙に、鄧艾が陰平を越えて成都に迫った。

魏の勝利(蜀漢滅亡)

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